金澤義春会長・略歴
金澤義春(かなざわ・よしはる)会長 昭和6年3月26日福島県生まれ。元小飛(少年飛行兵)、浪曲・マジック・東洋医術・詩吟など芸術分野の他、アクアライン建設・ポイ捨て禁止等、政治運動指導者として活躍中。著書「責任者出てこい」が大ヒットし一躍時の人となる。
昭和6年3月に、福島県で生まれた金澤義春会長は、23歳で川崎市幸区に金澤土地建物を設立した。地元の事業者に様々な物件を仲介するとともに、医院や薬局などを町に誘致し、生活インフラの充実を図った。昭和44年には東洋医学への関心が高まり、自らも治療院を設立した。ぜんそくや呼吸改善など、東洋学の方法で治療を行っている。
昭和60年に金沢ビルを建設し一部を賃貸するとともに、自らの活動拠点を確立。他、川崎市内に4棟のビルを所有経営する。平成元年、戦後60年間手つかずだった川崎駅前の再開発を目指して、再開発組合組長に就任し、地権者の取りまとめを行う。
金澤義春会長の主な業績
川崎市と千葉県の東京湾横断道路(アクアライン)の建設の発案者。昭和52年から出来るまで長い年月が掛りましたが、工事着工から完成まで約10年ほどでした。今では、観光と経済交流の発展に大きな成果を上げております。
その体験から日韓海底トンネルを夢を見ておる者でございます。これが完成すれば日韓の経済交流ならびに観光産業として、より両国の発展に繋がることを確信しております。
平成7年7月1日から施行の運びとなった『川崎市飲料容器等の散乱防止に関する条例』、たいへん長たらしくてお固いお役所的用語の条例ですが、これがいわゆる『ガム・タバコ・空き缶・ポイ捨て禁止条例』でこれを機に全国に条例の制定が広まりました。金澤義春会長は、その提唱者として全国的に知られるようになりました。
平成13年、懸案だった駅前再開発が着工。13年間かけた地権者への説得が実ることとなる。平成15年、ミューザ川崎、他高層マンションが完成し、再開発計画が一区切りつく。その後、その条例変更が追い風となって、平成15年の「ミューザ川崎」等の大型ビルの完成に至った。
エジプトのカイロ市内に2700本の桜の苗木をムバラク大統領閣下に贈呈し、日本とエジプトの友好に役立てております。平成13年3月、エジプトで開催された桜の植樹式に出席。大統領とも会談しました。
山形県の市内に4000本を贈呈し、市民のいこいの場として花盛りには大勢の観光客が賑わっております。平成13年山形県寒河江市原町で染井吉野・大手毬で植樹式、平成14年山形県尾花市徳良湖で大手毬植樹式、平成17年に東根市でさくら劇団公演と植樹式が開催され出席しました。
平成16年4月17日に川崎市西口大通り会(金澤義春会長)主催、川崎南河原銀座共同組合協賛で、川崎駅西口大通り桜祭り(350人の花笠踊りパレード)が開催されました
平成23年11月13日神奈川県知事より表彰されました。
『あなたは自然環境の重要性をよく認識し多年にわたり自然環境の保全を積極的に展開するなど優れた成果をあげられましたので表彰します。』
平成24年2月に開催された第12回青年指導者フォーラムに講師として招待されました。愛の架け橋、平和へのビジョン〜日本青年への期待〜というテーマで1時間の講演を行った。そのほかにも多数の講演活動を行っていて、そのテーマは健康から政治・経済まで多肢にわたる。
金澤義春会長の現職
有限会社 金澤土地建物 | 社長 |
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さくら治療院 | 院長 |
川崎市西口再開発を考える会 | 会長 |
東京湾横断道路期成会 | 元副委員長 |
日韓トンネル推進全国会議 | 世話人 |
日本エジプト協会副会長 | 関東支部長 |
川ア環境アセス | 理事長 |
剛洲流吟詠会 | 理事長 |
神奈川県猟友会 | 元副会長 |
神奈川県猟友会幸猟友会 | 会長 |
青少年育成連合会 | 最高顧問 |
子どもを守り隊 | 会長 |