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金澤義春物語第11部・ポイ捨て禁止条例が決まるまで(エピソード10からの続き)

小学生の大発明



 もう一つうれしいことがあった。
 それは、一人の小学生のガムに関する研究である。川崎市幸小学校6年生の大村さやかさんが夏休みの宿題として取上げたものだが、私はその話を聞いて感激した。
 彼女はいろいろのガムを自分の洋服などになすりつけ、それを取るにはどうしたらよいかを研究したのである。
 その結果、一番取れるのは酢だということになった。それは大きな模造紙に書いてあった。はじめはレモン、これもだめ。次は油、これもだめ。石けんだめ。そして最後に酢がよいということが克明に書いてあった。



 私は早速実験してみたが、なるほどよく落ちる。私は感心すると同時にこれは子供たちを教育する絶好のチャンスだと思った。私は感謝状をつくり校長先生にその旨を電話すると、朝礼の時に渡してもらいたいという。
 全校生徒の見守る中でやれば、これは一層教育の効果が上がるではないか。よし、テレビで全国にも流そう、私は早速テレビ局に電話をした。



 さあ、こうなると、評判は全国に広がり、それを聞いた高橋川崎市長も大喜び。では市長賞をさしあげようということに発展したのである。
 ガムをはがすという技術もさりながら、ガムをポイ捨てしてはいけないんだよな、という子供たちの声が広がってくれることを、私は願った。そして、今がチャンスだと、数万枚のチラシを作って市及び県の学校に配った。それと同時に、各企業にもチラシを撒いた。



「皆さんの家庭にもこのポイ捨て禁止に賛同してもらうように、ぜひ皆さんで読んでください」

それが私の願いだった。いや、祈りだったと言ったほうがいい。私は、金がいくらかかろうが、これは自分の使命だと思って、全身燃えに燃えていた。
 今も私は、絶対に手をゆるめてはいけない。
 ホームレスの諸君に協力してもらって、私のポケットマネーをはたきながら道路にころがっている空き缶や、吐き捨てられたガム、タバコの吸い殻などの清掃作業を進めている。



 私としては、事ある毎にポイ捨て禁止の“看板男”になって人々に訴えている。私が浅草の木馬館でポイ捨て禁止の浪曲をうなった時、ひょいと客席を見ると、あの杉本さんがおられるではないか。条例制定に反対された当時の川崎市環境局長の杉本寛さん(現助役)だ。懐かしいというより有難かった。
 私はお礼を申し上げたが、杉本さんは当時を思い出されて
「いやあ、金澤さんの迫力に押されましたよ。穴があったら入りたい」  と言われたのには恐縮した。

ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。エピソード12以降は企画中です。
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