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金澤義春物語第3部・私もホームレスだった(エピソード2からの続き)

ナット・ナット・ナットー


 こうして10日間が過ぎたころ、1週間分の手当てが支給された。2千円であった。上京して初めて手にした金である。よし、この調子で稼げば、早く金を貯めることもできるぞと、1人1人ニヤニヤしたものである。だからといって、旅館に泊まることなど考えもしなかった。相変わらずベンチに寝た。



 ベンチは寒いから朝早く眼がさめる。工場へ行くまでには充分な時間がある。そこで私は、この時間の利用法を考えた。
 そうだ、あの世話になった納豆屋に行ってみようと思いついた。そして直談判である。
 
「私に納豆を売らしてくれませんか」
 即座にOK。そこでまず30個を1個8円で仕入れた。



「からしは別だよ、自分で作りな!」
からし作りなど簡単だ。乾物屋で粉を買ってきて湯呑み茶碗を借り、熱湯をかけて掻き廻してハイ、出来上がり。自転車は買わずに、1日10円で借り、さあ、納豆売りのはじまりだ。
だが、私はなんともだらしがない。納豆売りには欠かすことのできない、あの売り声、
「ナット、ナット、ナットー……」 がどうしても言えないのである。



声が出ないからではない。恥ずかしのだ。若い娘さんや奥さん連中に会うと、もう駄目だ。どうしても言えない。私も若かったのだナ。でも、恥ずかしがっては商売にならない。一大決心をして、多摩川の出てで発生練習をやった。
「ナット、ナット、ナットー」
 よしこれでよしと、町へ出て行ったが、やはり駄目。人がいると言えなくて、人がいなくなってからその背中へ
「ナット、ナットー」
では、誰も買ってはくれない。
自信喪失していると、工場の奥さんに聞かれた。

「あんた朝早いんだね、何してるの」
 これまた恥ずかしいが、正直に言うしかない。
「ナットの声が出なくて納豆が売れないんです」
「じゃあ、ウチで買ってあげるよ」
と、やっと3個ばかり売れた。



ベンチホテルからの脱出
こうして納豆商売は不発に終わったが、一方の工場の方は大いに信用され、機械も1台専用に預けられ、どんどん成績をあげていった。稼ぎ高は1か月で8千円にもなった。そこでようやくベンチホテルから脱出を考えた。
不動産屋を廻って借りたのが、3畳ひと間で、金2千円也。ベンチで寝ていたことを考えれば、ここはまるで御殿だ。ゆっくり手足を伸ばしてのんびりというところだが、私はそうはいかない。あれこれ今後のことを考えたりしていたが、ふと思い出して、久しぶりに兄を訪ねた。それより前、私は故郷の父に手紙を出していた。



「食べ物がないから米を送ってくれ」
という内容である。その米がもう来ているはずだ。そう考えての兄訪問であったが、米はもらえなかった。
「米はないよ。食っちゃった」
兄はすましたものである。これは保有米で、本当はそう勝手に食べてはいけないことになっている。私は頭にきたが、他の目的があるから、そうしつこくは言わなかった。



 その他の目的というのは、家を作ることについての相談であった。兄は、すぐ乗ってきた。
「じゃあ、俺が今掛けている殖産住宅を買えよ」
 よく聞いてみると、今は掛金も滞ったままだという。だから、名義変更をして新しく掛けていけばそれは生きるという仕組であった。
「大丈夫、家は建つんだな」
「殖産住宅のはしりの仕事だ、間違いはない。だから今まで俺が掛けた分を俺に払ってくれればいいんだ」
「よしわかった。今金はないから、少し待ってくれ」
「それはお前ひどいよ!」
「だって兄貴は、俺の米2表も食っちゃたじゃないか」



すると、兄は素直に言った。
「それもそうだな……」
これで、ハイ、手打ち。あァやっぱり兄弟だなと私は思った。
そのうちに、私にもう一つのの欲が出た。
あァ土地が欲しい……
実は、こらが、現在私の会社、
「金澤土地建物」
の芽生えと言えるかも知れない。


エピソード4に続く
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